<弁護側予見可能性藤田香氏反対尋問>

裁判官)弁護人、反対尋問はありますか?

弁護人)はい。弁護側としては、被告人が非加熱製剤によりエイズに感染するということを認識するのがやむを得ず遅くなってしまったということを立証したいと思います。
・・・さきほど、あなたはエイズに関する情報をアメリカなどの文献から得ていたと証言しましたが、1982年当時のエイズという病気についての見識についてお聞きします。まず、エイズという病気の原因はわかっていましたか?

証人)え一・・・いえ、はっきりとはわかってはいませんでした。

弁護人)それでは、診断基準としては、どのようなものでしたか?

証人)・・・それは、確か、その当時は診断基準もまだ十分に検討されていない状況でしたので・・・

弁護人)えっ?、診断基準が十分に検討されていなかったのですか?それでは、その当時の診断方法はどのようなものだったのですか?

証人)診断方法は・・・エイズの原因自体がはっきりとしていなかったのですから診断方法は確立しておらず、実際に患者さんを診察して、もしかしたらこれがエイズと言われる病気かもしれない、というように判断をしていました。

弁護人)ということは、当時は、エイズの原因もはっきりしていなかったので、診断基準が十分に検討されていなく、診断方法も確立していないという状況だったのですねえ。

証人)・・・

弁護人)ところで、当時、そのような状況の中で、非加熱製剤が危険だという他に安全だという情報はありませんでしたか?

証人)・・・はい、確かにそれもあったことは事実です。

弁護人)あなたは、その情報をどこから得ていたのですか?

証人)確か・・・アメリカからの文献にありました。どなたかの論文に書かれていたように思いますが・・・。

弁護人)その文献の名前を貝体的に思い出せませんか?

証人)(少し考える)さあ・・・ちょっと思い出せません。

弁護人)とにかく、その1982年当時はまだエイズと非加熱製剤の間係についての情報は錯乱していたようですね?

証人)はい、そう言えるとも思いますが・・・

弁護人)そのようななかで、あなたはその文献を83年の1月から資料として提供していたということですが、あくまでもさまざまな情報の一つとして提供していたのですよね?

証人)私としては少しでも非加熱製剤が危険かもしれないということを知っていただきたかったのです。

弁護人)・・・それでは、次に、84年11月22日の第1回工イズ報告会議についてお聞きします。まず、その会議で日本におけるエイズ患者について何か話し合われましたか?

証人)当時日本にはまだ工イズ患者はいないということでした。抗体陽性が存在するのは確かでしたが・・・

弁護人)あなたは、なぜそのような結論が出てしまったと思いますか?

証人)それは・・・当時、工イズの原因自体がはっきりしていなかったこともあり、アメリカなどに比べて、日本でのエイズの診断基準が厳しかったので・・・そのためかもしれません。

弁護人)日本での診断基準が厳しかったということは、アメリカでエイズだと判断されても、日本では必ずしもエイズだとされるわけではないのですよね?

証人)・・確かに、それはそうです。

弁護人)それでは、エイズの原因ウイルスが発見されて来たのはいつごろですか?

証人)え、工イズの原因ウイルスが発見されて来たのは83年と84年ごろで、それらが同一のものとしてHIVと統一されたのが86年の5月でした。

弁護人)ということは、ぞの86年5月にエイズの診断方法や診断基準がはっきりとしてきたのではないのですか。

証人)確かに、そのころにはっきりとしました。ただ、原因ウイルスは少しずつわかってきていましたし、確定されたのが86年5月だということです。

弁護人)さきほど、あなたはギャロ博士とご自分の検査方法は違うとおっしゃいましたが当時検査方法はまだ確立していなかったということですか?

証人)・・・はい。

弁護人)また、あなたはさきほど検察官に抗体陽性とは、感染力のあるウイルスを体内に待っているということだと証言していますが、その84年当時抗体陽性の意味は確立していましたか?

証人)・・・いえ、いろいろな意味が言われていました。

弁護人)それは、具体的にどういうことですか?

証人)そうですね・・・4つの説が言われていました。第lに、エイズにり患しないこと、第2に、ウイルスを持っているが健康であること、第3に、現在は健康だがいずれエイズ発症する、そして最後に陽性である、つまりエイズである、ということの4つです。

弁護人)そのことをあなたは何から知ったのですか?

証人)それは、日本医療報告という雑誌に載っていまして、それで知りました。

弁護人)その日本医療報告という雑誌はどのような人が読むものですか?

証人)医師向けの一般の雑誌ですから、医師ならだれでも一度はお読みになると思いますが・・・

弁護人)ということは、特に専門家ならその雑誌により抗体陽性の意味が確立していなかったことは知っていたのですよね?

証人)・・・

弁護人)今は、陽性であればエイズを発症するとわかっていますが、当時はまだいろいろな意味が言われていたのですね。

証人)・・・。

弁護人)つまり、それでは、当時はエイズという病気自体についてもはっきりしていないという中で、非加熟製剤との関係についてもいろいろな情報があったということになりますね?

証人)はあ・・・。

弁護人)それでまだ11月の報告会議ではェイズ患者は日本にはいないという結論が出たのですね?

証人)はい、確かにそうなってしまいました。

弁護人)ところで、あなたはこの会議のときにご自分の報告の中で非加熱製剤の便用中止を提案しましたか。

証人)え?いいえ、していませんが・・・?

弁護人)では、84年の御用納めのころにギャロ博士の検査結果があなたのとほぼ一致していることを厚生省に電話で連絡し、85年l月にその対比表を厚生省に送付したということですが、そのときはどうですか?

証人)していません。

弁護人)では、85年1月31日の被告人も出席した第2回エイズ報告会議であなたが結果対比表で抗体検査の結果が一致していることを搬告したときはどうですか?

証人)していません。

弁護人)全くしていないのですか?それはなぜですか?あなたは、非加熱製剤を使ってはならないと思っていたのですよね?それなのに、なぜ、非加熱製剤の便用中止を提案しなかったのですか?

証人)わ、私は、これらの報告は非加熱製剤での治療についての対策をたてるための資料になると思いました。私の仕事はウイルス感染症全般の研究ですから報告だけしたのです。

弁護人)そうなのですか。では、あなたは情報の一つとして非加熱製剤が危険であるということを報告しただけなのですね。

証人)ええ、はい、そうです。しかし、私にはそれが精一杯でしたし、それに・・・

弁護人)ヘえ?精一杯だったのですか。

証人)・・・

弁護人)それでは最後に、84年11月のあなたの報告より以前に国内で非加熱製剤に
ついての公式に発表された情報はありましたか?

証人)たしか、私の知る限りでは、公式のものはなかったと思います。

弁護人)では、公式のものがなかったということは、非加熱製剤は危険であるということが被告人に初めて公式に報告されたのはいつですか?

証人)それは・・・84年11月の第1回エイズ報告会議での私の報告だと思います。

弁護人)では、被告人が非加熱製剤が危険だということをはっきりと認識し始めたのはそのときでしょうか?

証人)さあ・・・。しかし私としては、少なくてもそのときには認識はしていただけたと思います。

弁護人)では、その84年11月の第1回エイズ報告会議のときに非加熱製剤の危険性は認識したけれども、工イズの病気自体がはっきりしていながったことで、エイズで死亡するということもわかっていなかったのですよね。わかりました。以上で反対尋問を終わります。

裁判長)検察官なにかありますか?

検察官)いいえ、ありません。



[HOME] [NEXT]